「好きなことをして生きいく」というと、「みんながみんな好きなことだけをしていたら世の中が回らない」という人がいる。
そんな風に「自分が好きなものは皆も好きに違いない」と思えるのが私は羨ましい。
好きなものってそんな、人と奪い合うものでしたっけ。
そもそも私たちが言う「好きなこと」ってどんなことを言っているのでしょうか?
好きなことってどんなこと?
好きなことをして生きる人を想像してみる。
人生の成功者?人の上に立つ存在?
好きなことをしている人がどんな気持ちで過ごしているかを想像してみる。
楽しい?気楽?幸せ?
好きなことを続けられれば人はずっと幸せを感じていられるのだろうか?
…
決して、好きなことを続けられたとしても、ずっと楽しいとは思えないだろうし、気楽でもなければ、幸せを感じ続けることもないでしょう。
つまり、好きなことってその程度のもの。
ただ自分が好きってだけで人から羨ましがられるものではないのが「好きなこと」。
人に羨ましがられるものを自分の中に探して、それを自分の「好きなこと」だと勘違いしてはいけない。
「自分の」好きなことは何?
みんなが好きなことを自分も好きだと思い込むのはよくあること。
そりゃ産まれてからずっと集団に属して生きているのだから、周りと自分は同じだと思い込むのは仕方ありません。
例えば、良い会社に入ってたくさん給料をもらうのがよしとされていますよね。
それで多くの人が幸せになれると信じています。
多くの人が幸せだと認める生活を手に入れて、他人から幸せな人だと認めてもらうために頑張ります。
良い会社に入れなければ、とりあえず給料が良い会社を選んだり。
ブラックだけど、誰もが知る一流の企業だったり。
それって「好きなことをして生きる」とか以前の問題ですよね。
物事を選択する基準が自分の中にないのだから。
そういう基準で生きている人はよく、「自分の好きなことがわからない」と言います。
「嫌いじゃない」の中に「好き」がある
好きなことがわからなければ、とりあえず嫌いなことをあげてみてください。
苦手でやりたくないことは結構はっきりしていませんか。
分類していくと、嫌いなのにやってしまっていることって見つかりませんか。
よくよく探っていくと嫌いだと思っていたことが嫌いじゃないことに気付き、嫌いじゃないことの中にある「好き」が見つかることがあります。
まだ自分自身でも気付いていない「好きなこと」を必ず誰もがもっています。
介護の仕事をしているとよく「介護は自分に向いてない。」と言う人に出会います。すごく仕事ができる人でも言います。
私も正職員で介護士をしていた頃に「仕事楽しい?」と聞かれて「楽しいと思ったことはありません。」と答えたことがありました。
楽しいと思うことはなくても、相手の気持ちを考えて行動することにやりがいは感じていたし、好きなんだと思います。
この曖昧な「好きなんだと思う」を「間違いなく好き」と思えればいいのですが、現実は好きとか嫌いとかあんまりわかりません。
私は1対1で人と関わるのは好きなんですが、1対複数人になると頭が真っ白になってしまうので「間違いなく嫌い」。
「間違いなく嫌い」なことを見つけていくと、他に「嫌いじゃないこと」があるのが見えてきます。
なぜ「嫌いじゃない」のかを探っていくと、小さな「好き」が埋もれているのに気付いたりします。
例えば介護の仕事で下の世話がありますが、「嫌いじゃない」んですよね。
人のお世話をする介護はどれだけしんどくても続けられますが、会議などで大勢に向かって自分の考えを話すことはどうしてもできませんでした。段々立場が上になって人の前に立つことが増えてきて仕事をやめてしまいました。
どれも実際に経験したから好きか嫌いかを言えるようになりました。だから「何が好きな事かわからない」人はとりあえず色々経験してみるといいと思います。
好きな事をしてお金を稼ぐ。
現実を好きになれればいいのに
昔は憧れだった職業、警察官も学校の先生も、今は面倒くさいことが多そうでなりたいと思う子は減っているでしょう。
そう、憧れの職業は毎日遊んで稼げるYouTuber。
子供たちにYoutuberの姿は楽しそうに見えているんですよね。
楽しそうに見せるって今の子供たちに本当に必要だと思います。
SNSをストレス発散の場にしている人は「見たくなければ見ないでください。」と言います。
間違ってはいないけれど、人は見たくない物ほど見てしまう生き物。
自分の担任がSNSで保護者にボロクソ言われているのを見て「私はもっと立派な教師になってやる!」と思う子供も中にはいるでしょうが、親と同じようにボロクソ言って「先生って大したことないな」って思う子供のほうが多いんじゃないでしょうか。
現代の子供たちは、リアルな意見を目にし過ぎて、現実に夢を見れなくなっているではないかと心配になってしまいます。
私が子供の頃に憧れた職業なんて良いところしか見てませんでした。
今の子供たちが好きな事をして生きたいと思った時に、様々な職業を思い浮かべられるような建設的な話を広げたいですね。
サービスを提供する側として人生の大半を生きる
警察署で勾留されていた犯罪者がアクリル板を蹴破って逃走した事件がありました。
この事件で問題視されたのは、犯人が逃走した時に待機していた警察官がスマホで動画を観ていたことでした。
問題なのは蹴って破れるアクリル板だけで良くないですか?
簡単に犯人が逃げてしまうような施設が存在しているのが問題なのに、それを人的ミスにしてしまう時代錯誤感。
働いていて改善を求められるのはいつも人の行い。
サービスを受ける側にいれば、質の良いサービスを低料金で受けられるとてもいい世の中なりました。
しかし、ほとんどの人はサービスを受ける側ではなく、サービスを提供する側として人生の大半を費やしています。週5日サービスを提供し、週2日サービスを受ける。そんな日々を送っています。
もう少しサービスを提供する側の視点で改善していっても良くないでしょうか。
古い会社を変えていくのは難しいだろうから、若者が中心となって新しいものを作り上げればいいんじゃないかと思います。
無くなりつつあるアマチュアとプロの境目
修行したり、資格をとったり、誰かに認められないとプロにはなれなかった昔とは違って、アマチュアとかプロとか関係なく、いきなり本業として活動できる世の中になっていますよね。生活していけるだけの収入が得られるかどうかは別ですが。
収入って生きていくには大事だけど、副業が認められるところで働けば両立もできるし、ワークライフバランスを自分でうまくコントロールしやすくなっていると感じます。
お金のために仕事をしながら、好きなことでお金を生む方法を試していけばいい。
要はお金を動かせればいいわけで、素人が集まった球団でも金銭価値を生み出せればプロとして活動できますよね。
今はあんまりスポーツ系のYouTuberっていないけど、ファンがつけばやろうと思えばできます。
野球でもサッカーでも自分たちでチームとYouTubeのチャンネル作ってひたすら動画あげれば素人集団のプロチームができてしまいます。はじめは個人スポーツの方が運営しやすいかも。
最近流行の一般人ぽいプロのできあがり。
好きなことをして生きるには、ただ好きなことをして時間を潰すんじゃなく、お金を生む方法がないか考えてみる事が大事。
好きなことをして幸せに生きるには。
比べるのは今の自分
他人と自分を比べてしまうのは仕方ありません。
しかし、他人と自分を比べながら、自分の方が幸せだと思って生きるのはハードルが高いです。
月収100万円の自分を幸せだと思うために、月収10万円の他人と比べてしまう人の幸福感は、月収200万円の人に出会うことで簡単に失います。
知らなければいけないのは、月収100万円で得ている幸せが何なのか。
その幸せは90万円だと減ってしまい、110万円だと増えるものなのか。
「月収90万円から100万円になったって幸福感はそれほど変わらないのに、月収90万円の誰かと比べると、月収100万円の私は幸福な気がする。」
それは、10万円で得られるものに幸せを感じているのではなく、「数字が多ければいい」というぼんやりした思い込みで得ている幸福感。
好きなことをして幸せを感じながら生きていくには、現在の自分を基準にして良くなるかどうかを考えられなければいけません。
人と比べはじめた時点で自分の好きなことからは逸れてしまいます。
好きなことをして生きていきたいのであれば、比べる対象を自分にしてみましょう。