思考整理

自分の居場所は世界が終わるまでわからない。

2017年11月19日

この動画のオジサン(元WANDSのボーカル上杉昇)は全盛期に「こんな世の中に媚びた曲を歌いたくない。」って言ってグループを脱退し表舞台から去りました。あれから21年が経ち、また歌ってる。

あんなことを言っていたけど、ファンが望む原曲をアレンジせず忠実に届けようとしてくれている姿を見て私の心は動かされました。

彼を見て気づいたんです。過去を粗末にしなければ、また戻りたくなったときに戻れるんだと。

「自分の居場所がわからない。」と悩む人は、勇気を出して一旦その場所を離れてみればいいんです。

転々としていれば、自然と自分の居場所は増えていくかもしれません。

今回は元WANDSの上杉昇が歌う姿から感じた「自分の居場所とは一体どうやって作られるのか?」について書いてみます。

 

居場所とは「自分を好きで居られる場所」

「売れる楽曲ではなく自分が歌いたいものを作りたい。」

脱退理由としてそんなことが当時の雑誌に書かれていたと思います。

ボーカルの上杉昇はWANDSを抜けて、新たにal.no.coというグループを作りました。

WANDSのファンだった私は、濁声で歌う新しい彼の作品を好きになることができず、追うのをやめましたが、それからも彼は自分が歌いたい楽曲を制作し続けていました。

自分の好きな音楽を制作できる場所、「自分を好きで居られる場所」を求めることが、私たちファンを置いていくことに繋がってしまいましたが、ファンを嫌ってWANDSという居場所を捨てたわけじゃなかったんだと、今の上杉昇を見ていて、私はそう感じました。

そして、居た場所を嫌って離れたのでなければ、彼のようにまた元居た場所にいつでも戻れるんだと、教わった気がしました。

居場所とは、離れると失ってしまうものではなく、戻りたくなったときに受け入れてくれる人がいればいつでも戻ることができるもので、自分がそこにいるかどうかは関係ないんです。

 

居場所とは「人に求められる場所」

今の上杉昇の歌を聴いて、「歌うことをずっと大切にしてきたんだな。」というのが、1992年に「もっと強く抱きしめたなら」を13歳で知ってから、al.ni.coの「カナリア」までを聴いていた私の感想。

「世界が終わるまでは」を今風に編曲して濁声で歌われてしまっていたら、この記事は書いていないと思います。

できる限り原曲を忠実に歌っている姿を見て、ファンの気持ちに精一杯答えようとしてくれているのが伝わりました。

「WANDSの上杉昇としてまた帰ってきてほしい。」

「歌うことにただまっすぐな人だからあの時あの場所を離れたのは仕方のない選択だったんだ。」

心からそう想います。

当時上杉昇にとってWANDSは、自分の居場所ではないと感じていた場所だったかもしれません。しかし、今彼は多くの人に求められて、またファンがいる場所へと戻ってきてくれました。そしてファンは彼がいつでも戻ってこれるように受け入れる場所を心の中にあけて待っていました。そんなファンを前にして、ここにも自分の居場所があるのだと、上杉昇自身も感じとってくれているはずです。

 

そこが居場所ではないだけ。

最後に私から「どこにも自分の居場所がない。死んだほうがマシ。」と感じてしまう方へ伝えたいこと。

自分が知っている世界が全てのように感じてしまいますが、今の私たちが知っている世界はほんの一部にすぎません。

今知っている世界に居場所がないだけで、必ずどこかに居場所はあります。

今までの行動範囲から少し飛び出して世界を広げてみてください。そうすれば、案外とすぐに居場所は見つかるかもしれません。

ほんの少しでいいから、今まで行ったことのない場所へ足を運び、人と出会うことが大事です。

人と出会うことが必要なのは、居場所とは自分が居心地よく過ごせる場所なのはもちろんですが、自分以外の人に求められることで作られる居場所というのがあるからです。

行動して知っている世界を広げられれば居場所が見つかる可能性は増えますし、立ち止まっていれば、いつまでたっても自分の居場所は見つからないとも言えます。

人を嫌って避けて逃げ回っていてはどこへ行こうと歓迎されませんが、何かひとつでも夢や目標を追う前向きな人でいられたなら、離れた場所に居場所が残り続けることがあるんです。今居る場所以外にも自分の居場所があるというのはどれほど心強いことでしょう。戻りたくなったらまた戻れるのだから。

 

 

 

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