雑誌・新潮45(2018年8月号)に「LGBTは生産性なし」といった内容のコラムが掲載され、多くの議論を巻き起こしています。
寄稿したのは、自由民主党の杉田水脈衆議院議員。
そして私が杉田水脈議員を知ったのは、雑誌ではなくツイッターに流れてきたある動画でした。
今回は、私が見た動画の中で話されていた言葉を取り上げ、私なりに読み解いていこうと思います。
正直私は、政治について全くと言っていいほど興味がなかったので、知識もありません。
しかし、そんな私のように政治に興味のない人間が、少しでも政治に関心を持つことが大きな力を秘めているのではないかと今回の件を通して考えるようになりました。
「LGBTは生産性なし」自由民主党の杉田水脈議員の主張。
NHK日いずる国(H27/6/5放送)より
生産性がない同性愛者の人たちに皆さんの税金を使って支援をする。
どこにそんな大義名分があるんですか?
テレビの討論番組から電話がかかってきまして「LGBTの知識を学校教育で教えるべきかどうかってことに対しての意見をください」というふうに言われまして。
「私は当然そんなものは必要ありません。」と言ったら、何と言われたかといいますとね、同性愛の子供は普通に正常に恋愛できる子供に比べて自殺率が6倍高いんだと、「それでもあなたは必要ないって言うんですか」みたいなことを言われまして。
私はそれでも優先順位は低いし、同じですよね、学校の先生も今、モンスターペアレントだとか、学級崩壊だとか、やらなくちゃいけないこといっぱいあるのに、こういうことやってる時間は結局ないでしょうし、どれだけ正しい知識を先生が子供たちに教えられるんですかと。誤った知識を教えてしまったらおかしいじゃないですか。
思春期の頃ってほんと色々あるんですね。私も女子高で育ちましたから、周りが女性ばっかりなんですね。じゃあ格好いい女性がいたらラブレター書いたりとかね、格好いい先輩と交換日記してください、とかやったりとかしてるんですけど。でも年を取っていくと普通に男性と恋愛出来て結婚もできて母親になってってしていくわけです。
その多感な思春期の時期に、「いや女性が女性を好きになるのはおかしくないですよ。男性が男性を好きになるのはおかしくないですよ。もっとみなさん堂々と胸を張ってそんな縮こまらずに、同性愛の人もちゃんと胸を張ってましょう。」っていう教育をしたらどうなりますか?
ちゃんと正常に戻っていける部分も戻っていけなくなってしまいますよねっていう。
主張を読み解く
生産性がない同性愛者の人たちに皆さんの税金を使って支援をする。
どこにそんな大義名分があるんですか?
はじめは特に気になることを言ってるとは思わなかったんです。
要は、「他の事よりも優先してLGBTの支援の為に税金は使えません。」っていうことを言いたいんだと私は受け止めたから。
私のように「そうだろうね。」と思う人もいれば、ある人は「いやいや早く支援してよ。」って思う人だっているでしょう。
「生産性がない」という言葉も、世の中の何の役にも立ってないっていう意味ではなくて、子供を増やす役割を担わない、という意味で、言葉のあやだろうと思いました。
続いて、子供たちにLGBTについて教育する必要はないと話されています。
テレビの討論番組から電話がかかってきまして「LGBTの知識を学校教育で教えるべきかどうかってことに対しての意見をください」というふうに言われまして。
「私は当然そんなものは必要ありません。」と言ったら、何と言われたかといいますとね、同性愛の子供は普通に正常に恋愛できる子供に比べて自殺率が6倍高いんだと、「それでもあなたは必要ないって言うんですか」みたいなことを言われまして。
私はそれでも優先順位は低いし、同じですよね、学校の先生も今、モンスターペアレントだとか、学級崩壊だとか、やらなくちゃいけないこといっぱいあるのに、こういうことやってる時間は結局ないでしょうし、どれだけ正しい知識を先生が子供たちに教えられるんですかと。誤った知識を教えてしまったらおかしいじゃないですか。
思春期の頃ってほんと色々あるんですね。私も女子高で育ちましたから、周りが女性ばっかりなんですね。じゃあ格好いい女性がいたらラブレター書いたりとかね、格好いい先輩と交換日記してください、とかやったりとかしてるんですけど。でも年を取っていくと普通に男性と恋愛出来て結婚もできて母親になってってしていくわけです。
「同性愛の子供は普通に正常に恋愛できる子供に比べて」と話しているので、正常な恋愛に同性愛は含まれていないことがわかります。
杉田水脈議員の言葉からは、彼女に植え付けられた「正しさ」に囚われているのが感じられます。自分の中にある正しさの基準から外れるものは全て「誤ち」と判断してしまう。信じている正誤の境界線を引き直すのは勇気のいることで立場上難しいでしょうが、
異性愛だけを正常な恋愛と捉えている人の言う「正しい知識」が、現状としては「誤った知識」です。
子供たちにLGBTの教育が必要かどうかを考える前に、「誤った知識」を「正しい知識」として扱う杉田水脈議員がLGBTに関する教育を受ける必要があります。
LGBTを理解するのに「正しい」とか「間違い」とか、そんな言葉は不要なのです。
なんでこんな事をいわないといけないのか、悲しいですが、世の中に同性愛者がいることを理解してくれるだけでいいのです。
LGBTではない人たちに、LGBTの人たちが身近に存在しているのを知ってもらえるように教育してくれるだけでいいのです。「正しくないとダメ」とか「普通でないとダメ」とか「生産性がないとダメ」とか、そんな教育は必要ありません。
「LGBTが嫌い」だと思うのは構いません。けれど「LGBTが存在するのが正しいかどうか」について議論するのはやめてください。その議論で導かれるのは「LGBTへの支援は後回しで構わない」という話しで済みません。
「LGBTの存在は許さない。」と言われる国にしないでください。
その多感な思春期の時期に、「いや女性が女性を好きになるのはおかしくないですよ。男性が男性を好きになるのはおかしくないですよ。もっとみなさん堂々と胸を張ってそんな縮こまらずに、同性愛の人もちゃんと胸を張ってましょう。」っていう教育をしたらどうなりますか?
ちゃんと正常に戻っていける部分も戻っていけなくなってしまいますよねっていう。
おそらくここで使われている「正常」は、「異性と結婚して子供を作ること」を意味しているように思います。
「正常に戻っていける部分」とは、流行やファッションでLGBTのフリをする人が減るという意味かと思ったのですが、はじめに生産性の話をされているので、
レズビアンであろうと、ゲイであろうと、バイセクシャルであろうと、トランスジェンダーであろうと、それを隠して異性と結婚して子供を作ることが正常、だと思い込ませていれば一定数はそれを選ぶ人がおり、それが国の為である。こちらのほうが杉田議員の考えに近いと予想できます。
これ以上LGBTの数を増やさないでおこうとする杉田水脈議員の活動は、声を上げられない人を増やしているだけでしかありません。
LGBTへの支援が行き過ぎていると感じるのは、支援を求める人が多く存在していることの証ではありませんか。
ここまでが動画の中の発言だけから私が読み解いた杉田水脈議員の主張。
動画の発言は現在の炎上から3年前のものだった。
私が引っかかったのは、杉田水脈議員の「正常」や「普通」という言葉の使い方だったのですが、世間では「LGBTは生産性なし」の部分ばかり取り上げられているのでなぜだろうと思っていました。
そしたら私が見た動画、最近のものだと思い込んでいたものが、3年前のものだということがわかりました。
それが何を意味するのかというと、「LGBTは生産性なし」という発言は杉田水脈議員の言葉の綾でもなんでもなく、言葉通りの主張を地道に続けてきたということです。
3年前のテレビ番組で、「生産性がない同性愛者」と言い、今回の雑誌のコラムで「LGBTは生産性なし」と記しました。
その間ずっと同じ主張を続けていたのは想像できます。
テレビや雑誌を通して、「生産性がないLGBTに税金を使うのは無駄ではありませんか?皆さんもそう思いますよね?」というメッセージを送り続け、「言われてみればそうだねえ。」と言う人を増やす活動を行っていたわけです。
杉田水脈議員は税金の話だけをしているつもりかもしれませんが、
彼女の発言は「LGBTは存在してはいけない」という思考に導かれる言い方を敢えてしています。そうなってしまえば、LGBTの人たちは生きているために苦しまなければなりません。
杉田水脈議員の主張は、国民に税金の使い道を理解してもらうためなんかではなく、LGBTを快く思わない人を増やし、LGBTを黙らせる結果へ導いているのだとわかりました。
当事者たちの声が国民の声として上がらない事を望み、無意識かどうかわかりませんが、LGBTが存在しない国へとつなげる主張を続けているのです。
そのほうが国の為だから、という理由で。
自由民主党の杉田水脈議員は国民のためではなく政権のために活動しているのです。
望んでいるのはこんな世の中じゃないと思ったら。
LGBTに対する世の中の解釈の流れを個人的には、
LGBTなんてテレビの中だけの人だったのが、LGBTは差別してはいけない存在に変わり、そしてこの一件があるまでは現実では出会わないけれど肌感覚で日常に存在しているのだろうと想像してもらえる、ところまで変化してきているように感じられていました。
私の感覚は間違っていたのでしょうか。
杉田水脈議員の言葉に賛同する人が増えれば、同性愛者の私は国の為にまた自分を否定して生きなければならなくなります。
阻止するためには声を上げなければならないけれど、皆が皆カミングアウトできるわけではありません。声を上げずに出来ることを考えました。
今までほとんど政治に関心がなかった私。
誰がやっても大して変わることがないだろうという半ば諦め。
しかしブログをはじめて情報を扱う側にまわり、意図的に政治に無関心にされている可能性もあるかもしれないと考えるようになりました。
というのも国政選挙の投票率が平成29年で50%台。約半数の人しか投票していません。
投票しない人って、今の政治に満足している人ではないですよね。何でもいいやと思っているから投票しないだけなんだけど、それで自民党が選ばれている。
自民党にとっては、下手にわけもわからず投票されるより都合の良い状態になっているのです。声を上げない国民は同意した者とみなし放っておく。杉田議員が目指す政治と同じです。
残りの50%の今まで投票していない人たちが投票しようと決心するとき何が起こるかは予想できます。
政治に関心をもつことがいかに大きな力を秘めているのかはわかりました。しかし、これからどうして行けばいいのか今の私にはわかりません。誰を信じ頼ればいいのか、受け身でいては誰も教えてはくれません。
誰もが当たり前に政治について考えられる国にするのが政治の役割のはずなのに、自発的な人しか情報を得られないのです。
そんな今の政治がおかしいのだとようやくわかりました。
肉球新党?
肉球新党ってなんなの。
「猫が幸せに暮らせる社会は、人にも優しい」って、LGBTQ当事者ではない方たちが抗議に参加しているのを見て涙がでた。