LGBTQ

人生最後の時を想うと寂しくて孤独に押しつぶされそう。

2018年4月2日

つい先日、叔父が何の前触れもなく急にこの世を去りました。

悲しむべきなのでしょうが、私は叔父が羨ましくて仕方なかった。

叔父の最後に対して、私がいずれ迎える最後を想うと、寂しくて孤独に心が押しつぶされそうでした。

 

誰かのために生きていない孤独感。

心不全で突然死した叔父には、2人の娘がいて、それぞれ結婚し、年明けに3人目の孫が生まれるのを見届けたところでした。私の従姉妹にあたる彼女たちに久しぶりに会いましたが、本当に絵に描いたような家族像がそこにはありました。

葬儀場だったので彼女たちは悲しんでいましたが、それをサポートするように旦那さんが子供の面倒を見ている。その光景は、場所の空気を変えてしまうほど温かいものでした。

同性愛者の私には決して築くことのできない家庭。

諦めがついていたはずでしたが、次第に見ていられないほど孤独感が押し寄せてきました。

叔父は娘たちに見守られながらこの世をさり、娘たちは自分の家族に見守られながら親を見送る。

それに比べ、私の親は将来が不安な独り身の息子を残してこの世を去り、残された私は独りでこの世を去る。実際には独りというわけにはいかず、誰かの世話にはなることでしょう。

自分の最後を想像したときに、せめて舌打ちされてしまうような場面が思い浮かばないように、今からできることをしておきたい。想像の中だけでもいいから寂しさを感じさせない最後がくるように。

 

この世に何を残しておける?

葬儀費用

叔父が亡くなるまで、私は独り身で養う家族もいないから、自分が取るに足るだけのお金があればいいやと考えて生きていました。独身者の特権みたいに。

しかし、この世を去るのは突然であったり、年齢順で寿命を迎えるものではないことを知りました。

突然だからといって「お金を準備するので、葬式を遅らせてください。」なんて言っていられません。身内が多くお互い様という精神があれば、どこからかお金が出てくるかもしれませんが、私が世話になるのは甥くらいしか思い浮かびません。そう思うと、献体に出すか直葬してもらうか、まだ決めていませんが、どちらにせよ少なからず世話になることが予想されるので、手間賃くらいは残しておく必要があります。

 

偲んでくれる人

心のどこかで、「そういやあの人どうしてるかな?」と時々私の存在を気にかけてくれる人を少しでも残しておきたいという気持ちがあるようです。

子孫がいないので、墓も残せない。私が現世に生きていた証として残せるのは、人の記憶くらいしかありません。

でももし、私が居なくなった後もこのブログが残っていたら、それはそれで恐怖ですよね。サーバー代が引き落とされなくなるので、まあそれはないでしょう。はてなブログだと自然と無料プランに変更されるみたいですけど。

文章にすると気持ち悪いですが、自分以外の人生に登場人物として記憶を残す。

障がい者施設だと、同年代や年下の人もいるので、私にとって介護の仕事のやりがいってそういうところにあったりします。

 

犬と旅行を楽しみながら生きよう最後の時まで。

セミリタイアという言葉がでてくるのは、人生の終盤を見ているからかもしれません。

人生を逆算しているとでも言えるでしょうか。

このブログを通して今の私がしたいことは、訪れた方に知りたかったことに加え、もうひとつ新しい知識をもって帰ってもらうこと。

LGBTQのような人たちが、当たり前に存在していること。里親を待っている犬猫がいること。

悲観するだけじゃなく、悲しい結末を避けるために出来ることを実行する。

ややこしいことを考えながら私がベッドに入ると必ず頬にお尻を寄せてくれる愛犬。とりあえず顔をうずめてにおいを嗅ぐ。においを嗅ぐと内を向いていた思考が止み、いつしか眠りについています。

孤独感や寂しさに押しつぶされそうになった時、犬を飼って本当に良かったと実感します。

 

 

 

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