思考

いじめをなくす方法はシンプル。なのにナゼなくならないのか?

2019年10月19日

人生は勝ち負けではない

いじめをなくす方法はとてもシンプル。

私が小学生だった頃、道徳の授業で「誰かがいじめをしていたらとめてあげましょう。」「何もせずに見ているのもいじめをしているのと同じです。」と教えられました。

違いますよね。

いじめは自分ではない誰かがするものとして話をするんじゃなくって。

シンプルに「あなた自身が誰かをいじめることを許してはいけません。」でいいと思う。

でもこの「いじめをしてはいけない。」ってみんな知ってます。

なのに、なんでいじめがなくならないのか?

 

いじめって何?

「いじめをしてはいけない」って知っているのに、なんでいじめがなくならないのかというと、言葉を知っているだけで、正直なところ「いじめが何なのかわかっていない」からではないでしょうか。

文部科学省の「いじめ」の定義では、「いじめとは、当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とされています。

これを「いじめをしない」に当てはめると、「精神的苦痛を与える心理的・物理的な攻撃をしない」という意味になります。

この定義から、「意図して相手を傷つけてはいけない」「自分がされて嫌なことは人にもしてはいけない」と捉えてしまいそうですが、「無意識でも相手を傷つけてはいけない」し「たとえ自分がされて大丈夫なことでも相手が嫌ならしてはいけない」んです。

相手を無意識に傷つけないためには、自分の思いよりも相手の気持ちを優先するしかありません。

この「相手の気持ちを優先する」っていうのをできない人がいるから、いじめはいつまでたってもなくならないんですよね。

自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先する。これをするには、神か仏かっていうくらいに、かなり自分を律する必要があるのに、「いじめをみたらとめましょう」ってそんな悠長なこと言っててはいじめはなくなりません。

いじめをなくすには、自分を優先したときに「相手の気持ちを優先したい」と思えなければいけない。けれど私たちにそんなことができるのでしょうか。

 

相手の気持ちを優先できる?

私自身、四十路にしてようやくわかってきたのが、本人の努力では変えることのできない特性を持って人は生まれてきているということ。たとえば私だったらHSPっぽいだとか。前の職場のあの人はアスペルガーで、あの人はサイコパスだったんだなとか。

HSPっぽい人は、その場にいる人の気持ちを察することはできるけれど、場の雰囲気に飲まれやすいので、咄嗟に自分を守る行動をしてしまいがちだったり。

アスペルガーの人は、思ったことを言って、人を傷つけてしまいがちだったり、サイコパスの人は、目的のためなら手段を選ばないところがあったりして。

相手の気持ちを想像しながらも自分の目的を果たすためになら何だってできる人がいれば、相手の気持ちを優先するどころか「相手の気持ちが想像できない」という特性の人がいるのも間違いなくて。そんな人に「いじめはしてはいけません」って言ったってボヤっとしすぎてわかるはずはなくて。

具体的に言われればわかる人もいるでしょう。たとえば「カレーを人の目に塗ってはいけません」と教えられていれば、カレーを人の目に塗るようなことはしなかったとか。

しかし、この世には良し悪しではなく勝ち負けを基準に生きている人がいます。そんな人には相手の気持ちなんてどうでも良いし、勝てればそれでいいんです。

自分が「勝たないといけない」ときに、相手を傷つける必要があると判断したら攻撃します。心に傷を負わせるような明らかな犯罪行為とはわかりにくい手段で。

だから、勝ち負けで生きている人には、「相手の気持ちを優先しても勝てる」ことがあるのを教えてあげないといけない。

頭の良い子を、他の人よりも高い点をとることだけで評価するのではなく、「周りの子の成績をあげることに協力できるのが他の子にはできないあなたの人より優れたところ」と評価してあげるとか。力の強い子には、殴り合って最後まで立っていられることをすごいって言うんじゃなく、他の人のために力を使えたときに褒めるとか。

 

いじめっ子に「なんでそんなことをするの?」と聞くのは無駄。

いじめっ子に「相手が可哀そうだからやめなさい」と言って、いじめっ子は素直に受け入れられるでしょうか。いじめっ子は、相手の気持ちなんてどうでもよくて、相手を変えることで自分の気持ちを変えるのが目的なんです。

自分のモヤモヤを解消しようと行動してるのに「相手の気持ちを考えろ」なんて言われても、腑に落ちないはずです。

いじめっ子にいじめる理由を聞くらいなら、もういっそのこと同じ空間にいられないようにするほうがいいと私は思います。

そのためには、いじめられている子供といじめる子供だけで問題を解決させようとせず、間にはいって的確な判断をくだせる大人が必要になります。それが学校では教師の役目でしょう。

おとな社会でも同じ。的確な判断をくだせる人間がその場にいないといじめはなくなりません。

で、その的確な判断をくだすのは誰なのかっていうのが問題。もしかしたら今の世の中にはこの役目を担えるような人が少ないのかもしれません。これから育てていくのが今を生きる私たちに与えられた課題。

 

自分の特性を知る。知ってもらう。

健常者と障害者のどっちか。みたいなんじゃなくて、もっとみんなひとりひとりが凸凹しているのを自覚してもいいと思うんですよね。

あーこれ得意。逆にこれは苦手。とかっていうのを細かく知る。

そして、

自分の特性を知っておわりではなく、周りの人と共有する。

それができると、みんなそれぞれ異なる基準で生きているのがわかって競うタイミングや相手を適切に選べるようになると思うんですよね。

なかには万能の人もいるでしょう。そんな人は素直に自分を誇りに思えばいいだけで、出来ない人を自分の土俵にあげて責める必要はありません。

前の職場の話なんですが、アスペルガーの人が仕事できないのを裏でボヤく職員がいて、私はそのボヤく職員に対して「あんたは仕事が出来るんだから同列に見てないで、アスペルガー君に仕事を覚えさせられない自分にボヤけよ。」と内心思っていたけど言えなかったのを今思い出しました…

みんな平等にするために、足の引っ張り合いをするんじゃなく、特性に合わせて役割を分担してもいいと思います。

ただそうなってくると、苦手なことはしない=したくないことはしない、みたいになってしまいそうな気もします。

苦痛のない世の中は平和なのかもまた考える必要がでてきそうですが、それはまたそうなったときに考えればいいですし。

 

学校で教えてほしいこと。

色んな人がいるのを当たり前に思えるような教育をしてあげてほしいです。

人より優れるために勉強するだけでなく、人より優れた部分をすでに持っているのに気付けるような勉強ができるといいですね。

 

自分にできることが他人に出来ないのを見て腹を立てないこと。

自分にも出来ないことがあるかもしれないと想像すること。

そこそこ万能だと思えたら、それは人を見下すためにある能力ではなく、人のために活かさなければならないこと。

自分よりも相手の気持ちを優先して勝てることがあること。

相手を勝たすことで自分が良い評価をされることがあること。

 

そしてそれらが「最善」というのではなく、そういう物事の捉え方もあるよっていうのを教えてあげてほしい。

学校が変われば、いずれ塾のありかたも、テストで良い点をとるために勉強する場所ではなく、特性をのばすために学ぶ場所へと変わるでしょう。

 

最後に。

私は理屈っぽい自分自身が好きになれなくて、普段の生活ではここに書いたようなことは表に出さないようにしています。例えば会議で「何かいじめをなくす方法はありますか?」と聞かれても、早く会議を終わらせるのを求められている気がしたり、こんなややこしい意見誰も私に求めていないよなと思ってしまうから絶対に言いません。そう、何か本でも読んで得た知識だったら説得力がありますが、何の専門家でもない私の中から自然と湧いた考えなので、自信がもてないんですよね。

しかし、こんな風に考えてしまうのが自分の特性で仕方のないことなら…それが自分らしさなのであれば…と思い、あえてHSPっぽい自分を出して書いてみました。

 

 

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