HSP・思考

御朱印集めには「視覚から形而上的な体験をする」という意味がある。

2018年1月30日

御朱印集めには、本来どのような意味があったのでしょうか?

そしてまた、これから御朱印を集める人は何を目的にはじめればよいのでしょうか?

なんとなく集めるのではなく、手にした御朱印に書かれている言葉から、御朱印が形あるものとして存在する意味を少しでも理解できれば、御朱印集めが一層楽しいものになると思います。

 

御朱印の由来。

御朱印の由来は、参詣者がお経を書写して寺社に納めることによってはじまっております。

昔は納経帳の右肩のところに「奉納大乗経典」と書かれておりました。

現在は、「奉拝」という文字となっております。

いつの頃か、作法が簡略化されて、お写経を納めなくても、参詣の証として「ご判」をいただくことによって今日に及んでおります。

このような本義から申しますと、お経も書写せず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただ御朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになり、あるべき姿から離れてしまいます。

参考「ご朱印」について/金龍山浅草寺

 

何も感じなければただのスタンプ。

マナー的には、お参りだけしておけばいいみたいですが、

御朱印を集めるのであれば、せめて何かを感じとろうとする心だけは持っていたいですね。

形而上学けいじじょうがく

形而上学は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。世界の根本的な成り立ちの理由や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える。対立する用語は唯物論である。
形而上学/wikipedia

なんのこっちゃですが、目には見えない心で感じ取ったもの、という感じ。

神社やお寺を参拝したときに感じる形而上的な体験を人の目に見える形にしたものが御朱印。

普段の生活ではあまり目にしない書体や判の印された御朱印からは、視覚を通して感じ取れるものがあるはずです。

御朱印を手にすることで私たちは、視覚や触覚などの五感から第六感的なものを経験することができるようになります。

そして何かしら感じとれているのであれば、「わざわざ神社やお寺でもらうスタンプラリー」にも、意味があると言えるのではないでしょうか。

 

御朱印に込められたもの。

私が神社仏閣を訪れるのは、目に見えないものに意識を向けたいからだと思います。

つまりは、目に見えるもので、何かを伝えるために意味があって存在するもの、が神社やお寺には少ないので、自分の感情が戻ってくる感覚があります。そのために訪れるのは宗教観からどうなのかはわかりませんが。

緑が多く色味が少ないから目を休められます。その代わりに耳を澄まして自然の音を聞けます。大きく深呼吸して木々の香りを嗅ぐことができます。それらに意味はないし私に何も求めていないことがわかるので安心して体に取り込むことができます。

ツイッターやインスタグラムなんかをしてると、目に飛び込んでくる情報が多すぎて疲れてしまうことはありませんか?

画像に込められた思いを勝手に想像したりして。

「すごくいい瞬間だったから見て!」と、撮影者が心から感動した景色をただ映した写真には、技術的な美しさはありませんが、喜びが伝わってきます。

「プロっぽい写真が撮れた!」と現実を超えるほど美しく加工された写真には、芸術的な美しさはあっても、加工される前の現実の風景を眺める撮った人の気持ちが写真の中に感じられなかったりします。

御朱印にも同じように、込められた想いがあるはずで。

そういうのを感じるために集めてもいいし、深く考えずにコレクションしてもいいでしょうし。参詣だけで得られるものがあるなら別に集めなくてもいいし。

ただ見栄え良く加工してブログに並べるだけなら、御朱印じゃなくても何でも良くなるので、御朱印に込められた何かを感じ取ってブログに残したいと思うけれど、違いなんてあるのでしょうか。

御朱印に込められているものが、場所によって違うなんてのがわかってきたりしたら御朱印集めも楽しそうですね。

 

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