エッセイ 介護士

利用者主体とは認知症の高齢者にハンドルを握らせ続けることではない。

投稿日:2017年3月6日 更新日:

爺さん「家帰るわ・・・」

若者A「じいさん、乗せてくやん。」

爺さん「(こんな若造の言うことなんて信じられるか。)わしは独りで家に帰るんや!!」と大声を出して暴れ出す。

この爺さんと若者のやりとりのどこに問題があると思いますか?

今回は、「認知症高齢者の好きなようにやらせてあげる。」という一見優しさに溢れた考えに対して私が思うこと。適切な助言もせずに、ただ見守るような介護は利用者主体ではない、ということを介護現場の様子からお伝えしたいと思います。

 

介護の基本は利用者主体。

利用者主体とは、

  • 介護される人が、自分の意志で選び決定することが、人としてあるべき姿だとして関わること。
  • 介護をする人の価値観で援助をしてはいけないということ。

 

認知症高齢者が主導する介護は共倒れし易い。

一般的には、若者が上から目線のタメ口で言うから爺さんのプライドが傷つき怒ってしまったと捉えられるようです。例えば爺さんが元社長さんだったら、社長さんに声を掛けるような対応をとりましょうみたいなことが言われたりします。

若者B「爺さん、どちらへ行かれますか?ご一緒してもよろしいですか?」

じいさん「わしは今から家に帰るんや。道もよお知っとるしのぉ。なんやお前も一緒に来るか?そうかそうか連れてったるわ。」とじいさんは自信満々に歩きはじめるのを、優しい眼差しで見守りながら若者は付いて行きます。

しかし、爺さんは歩き始めて気づきます。「(どこから帰るんや。出口はどこや。)」

若者B「出口はこっちですよー」と出口を案内する。

爺さんは、施設から外へ出てまた気付く、「(家の場所わからんやんけ。)バス停どこや?」

若者B「バス停はここですよー」とバス停に案内する。「お金持ってますか?」

爺さん「(お金持ってないやんけ?!)兄ちゃん貸しといてくれるか?!」

若者B「ごめんなさい。私も持ってないんです。取りにもどりましょうか。危ないからじいさんも一緒にね。(この誘いに乗れば私の勝ち・・・)」

爺さん「この辺のやつはな、みな知り合いなんや。運ちゃんにお願いしてみるわ。」とバスを待つ。

若者B「バス来ませんねー。(マジバス来んな)」

爺さん「バスけえへんなぁ。わしの家はこの辺なんや。歩いてすぐや!」と歩き始める。

若者B「(仕方ない、気のすむまで一緒に歩いてやるか・・・)」

爺さん「ハアハア・・・」疲れ始める。

若者B(理想)「じゃあ、タクシーで家まで行きましょう!」と携帯を出し、施設と家族に電話を入れ、爺さんを家まで送り、家族に会って爺さん超喜ぶ。

若者B(現実)「帰りましょうか・・・」頭の良い若者は自分の権限では、タクシーを捕まえ家まで送るなんてことは勝手にしてはいけないとわかっています。

ここで終わるといい話。

このやり取りが行われている間も、施設の中ではこんな爺さんや婆さん数十人を対応している職員が数人残されているという現実があります。1対1で介護できれば、誰でもこれくらい気持ちに余裕のある介護ができるのですけれど、なかなかそうはいきません。

残された職員A「若者Bどこ行った?!」

残された職員B「外へ爺さん連れて行きましたよ!」

残された職員C「このクソ忙しい時間にか?!」

と残された職員たちがイライラしはじめる・・・。

残された職員A「婆さん、さっきもトイレ行ったやん。」「ああ、重たい!」とイライラを他の婆さんにぶつけてしまう。

若者は、疲れた爺さんの手を引き施設へと帰ってきます。爺さんはトイレに行き、お茶を飲んでひと休憩。すると、

爺さん「家帰るわ・・・」

若者B「爺さん、どちらへ行かれますか?ご一緒してもよろしいですか?(2回目)」

とは、なかなか言えません。

ご本人の意思を尊重してあげる物の言い方をしないといけないというのはわかるのですが、認知症高齢者がしてほしいと言う事をなんでもかんでも言う通りにしてあげることが正しいわけではありません。

実際に介護士として働いていると、自分が対応してる目の前の利用者だけではなく、その他の利用者のこと、その他の利用者を対応しているスタッフのことまでもを考えて行動しなければならない場面がしょっちゅうあります。

 

目的地に辿り着けないのが不幸であって、ハンドルを握れないことが不幸ではない。

はじめの会話に戻って考えてみます。

爺さん「家帰るわ・・・」

若者A「じいさん、乗せてくやん。」

悪いのは、この若者の言葉遣いではないということ。

「爺さん、乗せてくやん。」と言った若者への信頼度が低かったことが問題なのです。

「爺さん、乗せてくやん。」という言葉には、若者が主導権を握る意味合いが含まれています。「私が連れて行こうとしている所へ連れていかれてみませんか?」とか、「私に任せて。」という意味合いが含まれています。

「私に任せて。」と言われても、誰だってそう簡単に他人には任せられません。

爺さんに「この介護士さんは、今のボケた自分より、私の事をわかってくれている。」というくらい思ってもらわなければならないのですが、そう思ってもらうには、爺さんのプライドを奪い取ることにもなります。

介護現場で見ていると、認知症の人が持つプライドのせいで生き難くなっているのを感じる場面に良く出会います。失禁したものを隠してしまったり、人と違う行動をしていると間違っているのではないかと頻回に時間を確認したり。そんな認知症のせいで、自信を失い不安になっている人に責任を負わせるのを利用者主体と呼ぶのもどうかと思います。

目的地への道のりも忘れて不安で不安でしかたがないのにプライドが邪魔をして、自分の意志でなんとか前に進もうとする認知症高齢者がハンドルを握る車に乗って、側では「爺さんはさすがですね!すごいですね!」と煽てて、本人のいないところでは「認知症すすんでるよなー。」と認知症がすすむことが悪のような物の言い方をする。

それなら最初から「いつまでも威張ってないで、いい年なんだから、ハンドルをよこしなさい。」と言ってハンドルを取り上げるほうがマシだと思います。

 

自分で決定している気持ちにさせる事が利用者主体。

爺さん「家帰る。」

若者C「私車持っているので送りましょうか。」

爺さん「お願いできるか?」

若者C「いいですよ。ただ今はここで仕事してるから終わるまで待ってもらえますか?」

爺さん「何時になる?」

若者C「5時半くらいです。」

爺さん「遅いなぁ。そんな待ってられへんわ。」(※諦めの表情を見せる)

若者C「でも帰るなら車の方がいいですよ。家に帰って何するんですか?」

爺さん「家に財布とりにかえるんや。」

若者C「そうなんですね。」「お金だったらちゃんと事務所で預かってくれていますよ。」

「家に帰る」こと以外で爺さんの目的を解決する方法が見つかればラッキーですし、家に帰ることで解決するなら本当に家に帰るのもアリでしょう。ただ家に帰ったのを忘れて、また同じことをお願いされるでしょう。そうなれば、可哀想かもしれませんが、気を逸らすという方法を取らずにはいられなくなります。その気を逸らすにも信頼関係が大切で、信頼関係がないのに適当な言葉で気を逸らそうとすると、若者Aのようなことになります。

他人の力を借りて目的地へ向かうことができるのを知れば、爺さんもきっと納得するでしょう。必要なのは、爺さんがなぜそこへ行きたいのかを知ることと、介護士は爺さんの行動を阻む存在ではないと理解してもらうこと。

介護士がハンドルを握る車に乗ってもらって、不安を抱えた高齢者が安心した気持ちで居られるのであれば、それは悪くはないはずです。

 

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