思考整理

ヒトの本能を抑えて生きるビーガンのアニマルライツ。

2017年5月18日

 

 

他の動物の命を守るためにヒトとしての感情や本能を論理的にコントロールして生きる「ビーガン」自身のアニマルライツ(動物としての権利)は護られているのでしょうか。

 

アニマルライツを守る菜食主義という生き方。

このブログで少額寄付をはじめたことにより、たまたま辿り着いてしまった「ビーガン」というテーマ。

いわゆる動物製品を一切口にしない完全菜食主義なライフスタイルをとる方々のこと指します。

今までの私は、肉を食べる時に「目の前に置かれているのは命を奪われた動物の亡骸なのを認識して有難くいただく」ことで満足していて、「肉を食べない」という選択肢はありませんでした。

前回にアニマルライツセンターを知ってから菜食主義を通している方の考えなんかも色々目にするようになり、畜産動物について考えるようになりました。

だけど今これを書き始めたのは、「ビーガンになります!」とかいう宣言をするためではありません。少し自分の考えを整理するために書かせてください。

アニマルライツ(動物の権利)を守る方々には、聞き飽きた言い訳かもしれませんが、自分なりに考えてみたいと思います。

ビーガンになるには、私から「肉」よりもまず「理屈」を抜かなければなれないと感じました。そんなことについて書いていきたいと思います。

 

ヒトだけが感情や本能を抑えることができる。

見たことはありませんが人知れず畜産動物たちの命が奪われているのは間違いありません。想像すると胸が痛みます。逆の立場だったらと思うと恐ろしい。

しかし、自分の手を汚さずに肉を食べられる生活環境にいる今、肉を断つというのは私にはとても難しい。

ヒトの肉の味を知ってしまったクマのような気持ちになります。

ヒトの味を知ったクマは、必ずまたヒトを襲うから仕留めなければならないと言われています。

ウシの味を私は知っています。先日も焼肉に行ってしまいました。

「ウシさん有難う。」そして「ウシさんごめん。」と罪悪感に苛まれながらも私は食べるわけですが。食べると「おいしい・・・。」

ウシさんを想って悲しい気持ちでいっぱいになり喉も通らなければ私は簡単に菜食主義になれるのに、食べると美味しいんです。

牛肉が届けられるルートを完全に断ってでもしてくれなければ、意志の弱い私はこれからもウシを食べてしまいます。

肉を食べるのはヒトの本能なんですが、その本能をアニマルライツを守るために押しころして生きることができるのが「ビーガン」なのです。肉を食べたくない健康指向の菜食主義者や生まれながらの一部の菜食主義者とはまた違い、食べたい気持ちを抑えられるのがビーガン。

ビーガンのように本能や感情をコントロールしながら論理的に行動できるのは自然界で「ヒト」だけなんです。

 

ヒトが動物界のリーダー。

動物を食べていいとか食べてはいけないとか。動物の命をどう扱うかについて決められる立場にヒトが立っていることが私としては疑問です。まるで他の動物からすれば神のような存在になってしまっているのが人間です。

神のようなその立場を放棄し、他の動物に譲ることができるのでしょうか。文明を捨て、野生に戻ることができるのでしょうか。アフリカの大地で動物たちに向かって両手を広げ、「もう私たちは君たちを傷つけない。」そう言って食い散らかされることができるのでしょうか。

私はすぐ極論で考えてしまいますが・・・

「ヒトが野生で他の動物と仲良く共存しましょう」ということではないのですね。

「ヒトにしかすべての動物の命を守ることはできない」という考えなのですね。

全ての動物の命を守るために行動を起こすことができるのはヒトだけ

ヒトが動物界のリーダーシップをとるという理解でいいでしょう。

説得することのできない獰猛な動物から距離をおいて安全な場所で暮らすことができるのもヒトだけ。

命あるものを食べるのではなく、その他の物を食べるという選択をして暮らすことができるのもヒトだけ。

 

そんなヒトだってアニマルなんですが。

生物学上の種として、人間をあえて「ヒト」とカタカナで表記してきました。

そんなビーガンもヒトという動物なんです。

昔からヒトは動物を食べることで、必要な栄養を摂取してきました。それをやめるわけですから、代替品がなければ必要な栄養が取れなくなってしまいます。

自分の健康を害してまで、他の動物の命を守ることを優先するビーガンというライフスタイル。

「菜食主義は健康に良い」とか「肉を食べる必要はない」といわれればそれまでですが、そういう人種の方も確かに少なからずいるようです。

参考ヒト/wikipedia

 

 

歴史からみると狩猟民族。

いま私たちが食べている動物は、牛や豚に鶏と、わりと大人しい動物ばかり。人間と共存できる大人しい動物を「食料として加工しやすいから」という理由で選んでいるのだとしたら、ただただ悲しい。

自分たちの命を守るためにヒトは動物と戦ってきたのではなく、日本人は昔からわりと本気で動物たちを食べにかかっていたことがわかりました。

詳しく語るには、日本史や世界史の勉強もしないといけなくなりますが、日本では縄文時代から60種類以上の哺乳動物を食べていたようです。日本人は穀物ばっか食ってる菜食主義かと思ったら、ばりばりの肉食主義でした。

参考日本の獣肉食の歴史/Wikipedia

 

ヒトの感情は倫理的に正しいわけじゃない。

産まれたての仔馬を平気で襲うライオン。産んだ母馬のことを想うとライオンが憎くて仕方ありません。だけど、ヒトもライオンと同じようなことをしているかもしれません。

私と犬の関係にしてもそう。生まれて2か月で母犬から引き離し、生きるために服従させている。

犬の首輪にリードを繋いで散歩している人を見かけると「支配する動物」と「支配される動物」に見えるようになってしまいました。だけど私はそれを正しいとか間違っているとか言う気はありません。

たとえ正しいことではなかったとしても、犬を繋ぎ、共に歩かせ、同じ時間と空間を共有させていることに感じる喜びを今は否定しようとは思いません。誤解かもしれませんが、犬も同じように感じてくれている気がします。

そして私は愛犬をずっと私のそばにいさせようと思っています。それが支配欲だと言われればそれでも構いません。

私はいつも正しいおこないをする人間を目指しているのではなく、心が喜ぶことをただただ行い、そのおこないがたまたま正しいことと重なればいいなと思っています。

 

書いてきたことをまとめます。

菜食主義というテーマからはじまったわけですが、私が辿り着いたのは「肉食を続けるかどうかではなく今犬を飼っていることがはたしてアニマルライツを護れているのかどうか」でした。

私が何者かに繋がれて生きるなんて考えただけで苦痛でしかないけど、それをやっているわけですからね。ヒトって勝手ないきもの・・・。

つまり菜食主義については、もうしばらく気にしないフリを通します

アニマルライツを守る方からすると、少しでも多くの人に菜食主義になってほしい、動物を食べないでほしいという思いがあるのはわかります。私が書いたことは、ヒトが肉を食べるのは動物の本能だから仕方がないといった内容になってしまいましたが、残虐な事を嬉しいとか楽しいとか思うようなヒトにはならぬようにしたいと思います。

お付き合いありがとうございました。

 

 

「貧乏人は犬を飼うな。」って言うなら「金持ちは牛を喰うな。」と言いたい。

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